フランス人の見た目だけで大人っぽさを感じるのではなく、接し方も大人なところが多い。
もうひとつ、フランス人が大人だなあと思うところ
パリに何度か訪れて、今も昔も幾度も小さく衝撃を受ける光景がある。
この美しいパリには(他の都市は分からないので、パリに限定)たくさんの路上生活者がいる。
毎回同じホテルに泊まるので分かるのだけど
スーパーの前、カフェの隣、店の軒先、公園など同じ場所に数年変わらず同じ人や家族だったり犬や猫を連れた路上生活者達がいる。
同じカフェで必ずタバコやお金をもらいに来る人は大抵お決まりの人、縄張りみたいなのがあるんだと思う。
メトロにも必ずいて、電車に乗ってくる行動的な人がいる。
逆に動かない人、寝袋に入って微動だにしない人など、様々なタイプの路上生活者がいる
ジャケットを着て洒落た着こなしのおじいさんもいるから、普通の人と間違うことも多々、、
そこまではよくあること。
毎回驚くのが、そんな彼らへのフランス人達の接し方です。
初めて見た時は衝撃を受けた。
若い女性が、顔を近づけてまるで体調を伺うように優しく笑顔で声をかけてお金を渡しているのです。
しかも最後は握手もしてる。
その自然な行動に、当時の若い私は、自分と変わらない世代のフランス女性の行動を見て、己を恥じる気持ちになりました。
ホテルの近くに必ずいる男性に食事(スーパーのお弁当みたいなの)を渡す学生らしき若者、赤十字のベストを身につけた人が女性や子供たちの体調を聞いている様子
彼らと談笑しているカフェのギャルソン
こんな光景は至る所で日常的に見かけます。
しかも自然な様子で
みんなそれぞれ訳あって路上生活者になった人、そんな彼らを尊重して接する瞬間を毎日、あらゆる場所で見せられるのです。
そもそも日本にはフランスほどたくさんの路上生活者はいない。たぶん、、
もしくはいた場合、私を含め、日本人にはこんな関わり方はまず出来ない。
これはたぶん教育としか考えられない。
親にはもちろんだけど、学校や教会などで幼少の頃から教えられなければこんな行動が自然にできるはずない
前述の通り、フランス人の成人は18歳
それまでは必ず親、もしくは大人たちが必ず傍にいなくてはならない。
フランスでは日本みたいに子供だけが通学でひとり電車に乗ったり、もしくはお稽古などでも1人で外出することはありえないし見たことはない。
守るべきなのできちんと守り、然るべき歳を迎えたら独り立ち
その行程で、弱い立場の人達に手を差し伸べることを学ぶんだとしたら、こんな風に周りの困った人達に接する事が出来る18歳になるのなら素晴らしいなあと思う。
これぞ、立派な大人と言えると思った。
困った時には遠い親戚より近くの他人
日本にもこんな諺がある
ことわざは自然生活からなる真実のことば
でも、運良く切実に困ったことはなかなか訪れない。
きっと私たち日本人は親や大人たちのおかげでとても平和で、切実に困ったことが減ってきたのです。
それはすごいことだと思う。
でも、その代わりにだんだんと人との関わりも減ってきてしまった。
日本は近年災害が増えている。
隣にいる人達やボランティアの助けの存在の大きさは話題に上がってる。
でも、災害時だけではなく、小さなトラブルにも声をかけられる行動がとれるようになれれば、もっと大きいトラブルでも行動できるようになる。
私も色んなトラブルをその場に居合わせた人達に助けてもらった。
自分がされた好意を忘れずに、他人にも自然にできた方がよいはず
フランスのことわざで私たちが知ってる有名なので
“C'est la vie”(セ・ラ・ヴィー)
意味は「それが、人生」
というのがある。
こういう時に使うのです。
トラブルに見舞われた時、悲し嘆く人の肩を叩いて、言います。『それが人生』
あるいはそんな時の自分自身にも言い聞かせます。『これが人生』
フランス人が、まえに進むために必要なことばと言われてる。
ケ・セラ・セラ(なるようになる)もよく出てくる。
こんな風に思えるにはやはり大人にならねば到達できない。
フランス人が大人に見えるのは色っぽさだけではなくて、こんな人間性にも感じさせます。
困っている人がいたら、声をかける
そのかわりに彼らフランス人
嫌なことがあれば、平気で人前や客にだって溜息をついてる
路上にはタバコの投げ捨て、犬のフンは置きっぱなし
そのくせマナーの悪い人がいれば、客だろうがなんだろうが平気で叱る
そーいえば犬の飼い主にも犬の躾が悪いとよく叱ってる
自分勝手とも子供っぽいともいえるけど、それはそれでとても自然なこと
要はバランスなのかも
今日もここパリでフランス人達の大人っぷりを見せつけられてます。