パリに来ると、生活している人達の人間臭さを感じずにいられない。
いろんな場所で、楽しいこともまた困惑することもいろいろあるけど
経験したことのない事に遭遇する度に、こんな風に生きていけたら楽しいなと思う。
そう、パリの街は日常が溢れている。
こんなに大都会なのに、東京では目にしなくなってきたありふれた日常が
街の至る所に弾き語りやパフォーマンスをする人達がいる
冬に行けば街の至る所で路上の焼き栗屋がいる
夕方になるとみんな夕食のバケッドを片手に家路につく
日曜になるとマルシェがいたる路地に立ち、カートや籠をさげて一週間分の買い出し
蚤の市もいろんな路地で催され、品定めに必死
蚤の市の出店者達はそんな客の対応そっちのけでゲームやお喋りしてる
夏にはパリ郊外からラベンダー売りがきます
いつでも路上にはずらりとカフェやビストロのテーブルといすが強引に並ぶ
遅いカフェでの朝食をとる人達や、
日の長い夏の夜はワインとチーズだけで公園や川沿いに人が溢れる
そんな様子を路上で画家達が絵を描き、売っている
人間達が路上や屋外で生活をしているみたいに、パリの街は日常で溢れているのです。
そして、みんなとっても自由で窮屈さが全くない
パリのカフェでぼんやりウェイターの働きっぷりを見ていてたら、
グラスに入れる氷を手でわしづかみして、入れていた。そして、その手を服で拭いていた。
確かにこっちでは、フランスパンとかをそのまま手でつかんでるのは見るけど、氷も手づかみ、、、
日本だと、ケンカを売ってる?と思われてしまうようなこの行動
でも、どうだろう。昔の日本も今ほど神経質ではなかったかもしれない。
ヨーロッパには日本がどんどん消えてる生活臭のような「人間くささ」やあくせくした「生活感」がぎっしり詰まっているのです。
日本では除菌スプレーに手袋やマスクしてトングで食べ物を丁寧に扱うお店が多い
いつから日本は潔癖症になったんだ?
フィレンツェのセルフサービスのフードコートで、
魚介のフリットを渡された時に、ひとつエビのフライが目の前で溢れて机に落ちた。
「あ、もったいないから戻して!」と、潔癖症じゃない私は言おうとしたら、
こぼした人がぽいっと口の中に入れて目の前で食べられた。
そして、一言「ヴォーノ!うまい!」 まじ?って、笑ってしまった。
その行為自体は愛嬌あって面白過ぎるが、これ、日本では通用する?
お客に見えないところでやるにしても、お客の前では、今の日本人には無理。
もし目の前でエビが落ちたら、双方気にしないというお気楽さもないように思う。
日本では見えない抑圧や制約があるせいで、働く人たちのこんな気楽さはない
きっと、「申し訳ございません、」などと、丁寧に詫びるのでしょう、、
こっちは、その場で気さくに対応、セフィニ!(おしまい!)なのです。
たまに喧嘩もみるけど、それも後腐れなければよいかも、、とにかくジメッとしてないでさっぱりしてるのです。
日本人は開国した時に西洋人に野蛮人扱いされて、その反動でしゃかりきになって
西洋に近づこうとした結果、ここまで綺麗好きになってしまったのか?
最近の日本の様子をみると、礼儀正しいのではなく神経質なように思う。
私が子どもの時は、もっとおおらかで気楽だったな
もっと気楽にいきたいファッションもそう。
10年以上もパリに来て、街の人達の装いを見ると確かに流行があるはあるが
変わらないのは、派手ではなくナチュラル 日本はみんなこぞって同じようなファッションになるけど、自分らしさを感じる自由なファッションをしている
地下鉄やバスも汚いし汚れてる、そんな所で座るんだから潔癖性にはパリは無理
雨の日は、傘もささずにずぶ濡れになって、そのまま地下鉄やバスにみんな乗り込むから洋服は汚されまくり
ティーンは地べたに座り、肩出し、足だし、おへそだし
それでもいやらしくないのは、異性を意識してるのではなく、若さを意識したスタイルだからかも。
化粧もナチュラルだし、髪もボサボサ、お行儀も悪い
別に不良ぶってるのではなく、自由な雰囲気が可愛い
こんな子達も、数年前はボンポワンやプチバトーみたいなワンピースやボーダーを着ていたのかと思うと、それもまた微笑ましい
ちゃんと、ルールのある進み方でファッションが変化しているのです。
可愛い小さい時、そしてとがっているティーン、
親元を離れ自立したり、パートナーを見つけたり、親になったり
それぞれ大人になっていく
いいな、いいな。こんな感じが自然ですごくいい。こんな風に毎日を生きていきたいかも。
まずは心の成長に合わせたお洋服、考えましょうよ
人間くささや、とがった気持ちや背伸びしたい気持ち、洋服に出してみたい
そしたら、生き生きとした毎日を過ごせるかも