パリ独特の屋根に切り取られた空
薄暗い細道に立つと、まるで細長く切り取られたような空を仰ぐことが出来る。
パリの街は、ただ歩くだけで満ち足りてしまうほどに
ここでしか見れない美しい景色で溢れている。
この街を歩いていると、過去を大切にしている事がわかる。
お店も昔の建築ままで利用していることが多く
ブーランジェリー(パン屋)やファーマーシー(薬局)の文字が石壁に刻印されたそのままに、別の種類の店が営まれてるのもよくみかける。
蚤の市などは、過去を愛する最たるもので、毎週末にいろんな所で開かれ
家族やカップルが椅子やら机などを車で運んでいる。
カフェのギャルソンもホテルのドアマンも昔と同じスタイル
道行く車もオールドカーは珍しくない。
この街はノスタルジックに浸れる場所や様子がいたるところで見かける事ができる。
日本は、壊し新しく作る事は得意。
クラッシュアンドビルドを繰り返しているために、古い建物は少なく
子供の頃からの景色と今はだいぶ変わってしまっている。
いつの時代も景色が変わらないパリに来ると、その様子が羨ましくなる。
道具も昔と何ら変わらないものを使い続ける様子も見かける。
カフェなども、年代物のレジスターやカウンター、トイレも古い。
パンもフルーツも、買えば、紙袋に無造作にいれられ手渡される。
はじめて来た時と、なんら変わらない。
保守的なのか、ものぐさなのか
まだ使えるものを何故新しく変える必要があるのかと言われているような気がする。
現代に過去の遺物が混じっている。
パリの街を歩くとそういった不思議な不一致があるのだけど、それがまた美しく、これが正解と思わせる。
残したままで、当然だし、時間が作る美しさを尚更に感じずにはいられない。
パリの街は、19世紀に知事であるオスマンがパリ大改革を行い、建物の高さやバルコニーの位置まで規制をし、今の姿はほぼその頃のまま
このように、街の美観を大切にする事には、パリ市民は年季が入っている。
なので、街同様に、装いに対しての美意識も高く、景色に溶け込むことが自然にできるのだと思う。
街歩く人たちも、景色から逸脱することなく、とても美しく魅力的。
パリでは、子供だけではなく大人の女性たちのコレクションも見に行く。
選ぶ際、流行はもちろん気になるけど、日本人女性が素敵に見えることが最優先。
パリには色んな人種が暮らしているので、肌の色や髪の色、体型などで似合う色やスタイルがこうも違うことが知れます。
アフリカ系の人たちやインド系、ラテン系やゲルマン系、イスラムやユダヤ、それぞれ着こなしやカラーリングが違うので、民族意識の高さを感じることができる。
日本人らしい衣服ってなんだろう。
ここパリに来て考えてみた。
私の個人的な意見ですが、
パリで素敵な日本人を見かけると、きまって
カジュアルでもきちんとドレスコード的に着ている人たちなのです。
私たち日本人は背も高くないし、目鼻立ちも曖昧、そして肌や髪も同一
だからこそ、単色できっぱりとした色やシルエットが似合うなあと、海外の人たちに混じったかっこいい日本人を見かけると思う。
黒や白も日本人は西洋人よりよく似合うと思う。
欧米の人たちもステキに黒を身につけている人たちはいるが、かっこよく黒を身につけている日本人を見かけると日本に軍配が上がる。
日本人はもしかして、男性はちょんまげ、女性はおかっぱヘアがベストな気がしてきた。70年代に、海外で日本人モデルとして活躍した、前髪パッツンのオカッパで切れ長の山口小夜子が、ここパリで魅力的とされていたのがよく分かる。
海外で活躍している川久保玲や山本耀司も、草間彌生もエキゾチック。
日本人が海外で認められる日本の美を知らしめたのはすごいことだったんだなと、今更だけどすごく誇りに思う。
だけどいったん日本に戻ると、なんだか男女共に「かわいい」に偏りすぎていて、欧米とはかけ離れている。
ファッションのガラパゴス状態だとしみじみ思う。
日本のファッションもクラッシュアンドビルド。
流行で右往左往しているかのように、街の装いが一変する
パリに来ると、いろんなファッションで溢れているが、それぞれのスタンダード(定番)ファッションをそれぞれが着ているのです。
一部のファッション関係者だけが、先端のファッションをしているだけで、街でのパリジャンはみんなベーシック。
でも、日本人は?スリムが流行ったらスリムで溢れ、ワイドが流行ったらワイド。
カンカン帽が流行ったらみんなカンカン帽をかぶり、中折れ帽が流行ったら中折れ帽ばかりに街で溢れ出す。
でもひとたび廃れたら、もう時代遅れになってしまう。
でもね、パリでは、廃れる事なく、どのスタイルも存在してる。
景色と一緒で、ステキなスタイルの装いは変わらず見ることができる。
あっという間に見なくなる、日本のファッションの流れは間違っている。
日本人は似合う装い、好きな装いをしているのではなく、流行っているから着ている人が多すぎる。
景色も流行で変えられていて、恐ろしい。
気づくと、どの街も似たような景色になっている。
もっと、個性を大事にしてほしい!
古くなったら、補修していける丈夫な建物が望ましいように、長年着続けられる確かな服を着るようにしたい。
パリの街や人たちがノスタルジックに感じるのは、日本の東京の風景や人が目まぐるしく変化をしていたからだと、ここパリで気づきました。
細道に入った時の屋根越しから覗く空も、歩きながら見上げる景色もいつでも変わらない。
日本では、いままで眺めていた山が新しく建ったビルで見えなくなったり、空がちいさくなってしまうことが多すぎる。
もっと、ものぐさになって、不便でもこのままでいーじゃないって事にならないもんかなあ。
メトロに乗って、乗り換え通路を歩いていたら、パッヘルバッハのカノンをストリートミュージュシャンが奏でていた。
ホテルまでの道すがら、どこかからか懐かしいR&Bが流れたり、カフェで誰もが知るシャンソンを奏でている。
流れる音楽もスタンダード
いつの時代も、良いものは良い。
それさえ知っていれば、流行になんて左右されないのです。
ガラパゴス化してる日本
ちょっとだけ昔を振り返り、良いものを見つめ直してみたくなります。
もうすぐ、今回の夏の出張が終わります。
帰る間近になって、友人が言った一言が
「まるごとのパリを持ち帰りたいよ、、」
でした。
わかる!まだ見足りない程に、パリは魅力的。
私も、パリをまるごと持ち帰りたい。そしたら、ガラパゴス化していく日本を止めることが出来るかしら?